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鏡による左右逆転は1種類ではなかった、らしい

人力検索はてな

本日の内容

  • 鏡の左右逆転 1種類ではなかった
  • 「鏡は左右を逆にしない」と思う人
    • 東西南北
    • サイコガン
  • 「鏡は左右を逆にする」と思う人
  • この研究にはどんな意義が?
    • 自動車の設計の役に立つ?
    • 心理学の「鏡像段階」の解釈が変わる?
  • どんな研究がなにに役立つかわからない


  • おまけ:面白いということはそれだけで役に立つ

鏡の左右逆転 1種類ではなかった

人力検索はてなです。
q.hatena.ne.jp

によると、 「鏡の左右逆転 1種類ではなかった」 | 東京大学 という研究成果が発表されたそうです。

http://nurse-riko.net/wordpress/wp-content/uploads/2014/12/Fotolia_54523660_XS.jpg


質問者には、この研究の意義がわからないそうですが、私には、この研究の意義が、わかるようなわからないような…。

「鏡は左右を逆にしない」と思う人

いるんですよ、「鏡は左右を逆にしない」と思う人が。私も小学生ぐらいまでそう思っていました。

だって、左手を上げると、鏡の中の自分も左側の手を上げるじゃないですか。これじゃ、わかるわけないか(笑)。

東西南北

部屋の真ん中に、東西南北を向いた十字線を書いたところを想像してください。

で、鏡をですね、北側の壁に取り付けたところを考えてください。そして、東西南北の上に立って、鏡に向かいます。

西側の手をあげます。鏡の中の自分も西側の手をあげます。

ね、一緒の手をあげるでしょ?同じ手をあげるのに、左右が「逆になる」わけがないじゃないですか。

http://qph.is.quoracdn.net/main-qimg-85fc10355dbf9df217e0c02d899fe87d?convert_to_webp=true

サイコガン

宇宙海賊コブラといえば、左腕にサイコガンを仕込んでいることで有名です。
コブラが、鏡に向かってサイコガンを撃ったらどうなるでしょう?(クリスタル・ボーイの体内で反射していたので、鏡でも反射するとします。)
はね返ったサイコエネルギーは、右腕ではなくて、左腕に当たると思いませんか?

「左腕でサイコガンを撃つと、自分の左腕にはね返ってくる」なら、鏡は、左右を逆にしてはいないじゃないですか。

「鏡は左右を逆にする」と思う人

今ではその感覚、「鏡は左右を逆にしない」という感覚はかなり薄まりましたが、まだちょっと思っています。だから「鏡は左右を逆にする」という人の、本当の気持ち(物心ついた時から自然に「鏡は左右を逆にする」と感じていた人の気持ち)が、はっきりとはわかりません。


想像してみると、「自分が鏡の中に入った時」を考えているのでは?鏡の横からぐるっと回り込んでこっちを向くと、腕時計を左手から右手へはめ直さないと、うまく鏡像にならないじゃないですか。だから、左右が逆になったと感じるのでは?

なんて思っています。

この研究にはどんな意義が?

これだけなら、ちょいと面白い考察、という程度ですが、あんがいと先行きがあるかもしれません。

自動車の設計の役に立つ?

私は、周りに合わせて「鏡は左右逆になる」と言っているだけでして、本当は逆になってない、と、しばらくは思っていました。

特に困ることもなく生きてきたのですが、スクーターでバックミラーを見るようになった時、けっこう混乱しました。「鏡は私が考えているのと逆になる」と思い込んでいたので、鏡の中自動車が、(左右の)どっち側から来るのかが、ぴんとこなくて。

これじゃまずいと思って、意図的に訓練して直しましたけど。


ですから、自動車にバックミラーをつけるべきか、液晶テレビで後ろを見るべきか、というのは、ひょっとすると小さくない問題なのかもしれません。


http://image.rakuten.co.jp/shopworld/cabinet/03421266/img62037283.jpg

心理学の「鏡像段階」の解釈が変わる?

哲学者で精神分析家のジャック・ラカンという方によると、人間は発達途中で「鏡像段階」というところを体験するんだそうです。
http://www.desicomments.com/dc1/04/88759/88759.jpg

ちびすけの時に鏡を見て「あ、あそこに私がいる」みたいなことを思って、自己同一性を確保する、とか。(「だったら鏡がなかった頃の人間は、全員発達段階でつまずいてたのかよ?」と私は思いますが、それはさておき。)


(たぶん)世の中の大多数(であろう)人、左右が逆になると思っている人はですね、「自分が鏡の中に入った時」を考えているのでしょうから、これでいいわけです。

でも、私みたいに鏡のことを東西南北式に考えている人は、「あれは映っている自分だ」とか、そう思うんですよ。自分が動けば相手も動く、要するに入力に対して出力がある、単なる装置だと思ってる(思ってた)んですよ。


となると、鏡像段階を無事通り越した人間と、通り越さなかった(そもそもそんなものがなかった)人間がいるはずで、この辺りをラカン先生(の弟子たち)に聞いてみると、またあれこれ理屈をつけたりして、面白く(ややこしく)なるかも?

どんな研究がなにに役立つかわからない

というわけで、「この研究の意義がわからない」という質問者の方には、このような話、「一見なんの役に立たなそうな研究でも、何かしらの役に立つ可能性がある」という話をしてもいいかなあ、と思いました。


数学なんかはこれがあるそうです。
整数論*1の中の素数研究*2は、世界でも一二を争う役に立たない学問だと思われていましたが、インターネット通信が発達した現代では、盗聴を防ぐ暗号理論の基礎的な部分を担う研究として、おそらく世界で一二を争うぐらい役に立つ学問になりました。


といわけで、役に立たない学問の横綱級である哲学も、毛嫌いしないでほしいなあ、と思う、哲学科卒のCrazy Crescentでした。










おしまい。

おまけ:面白いということはそれだけで役に立つ

「これだけなら、ちょいと面白い考察、という程度」と書きましたが、実は、「面白いということはそれだけで役に立つ」と、思いませんか?


私は子供の頃、推奨されていなかったゲームセンターによく行きましたが、ときどき「なんの役にも立たないからやめなさい」と言われたものです。

ものすごく納得がいかないというか、「じゃあ、先生のその指輪だって、眼鏡についてる飾りだって、なんの役にも立たないじゃないかよ」と思いましたが、黙ってました。


シェイクスピアリア王

おお、必要なものを理屈で決めるな、卑しい乞食でさえ
貧しくともなにがしか余分なものを持っている。

と言いますし、リア王を翻案した映画「乱」の大殿は、同じことを

身ひとつで生きていけるのは、鳥やけだものだけだ

と言っています。

これを知った時の私の気持ちを、まさに「我が意を得たり」と言うんでしょうなあ。


だから、ちょいと面白い考察があるなら、それでいいんじゃないですか?

哲学好きにとっては、特にそう思いたい(笑)








おしまい。

*1:ピタゴラスの定理を満たすような整数は、3・4・5や5・12・13があるが、これ以外にもあるか?みたいな分野

*2:素数はどのくらいあるかとか、素数素数じゃないかを判定する実用的な方法はとか、素数をいくらでも生成する方法はあるかとか、みたいな分野。