「生きるに値する人生」とは何でしょうか?

本日の内容

  • 人力検索はてな「『生きるに値する人生』とは何でしょうか? 」
  • PART1 自分を投げ捨てるような生き方でないこと
  • PART2 世界に参加していること
  • PART3 ときどき 自らに問うてみては?

人力検索はてな「『生きるに値する人生』とは何でしょうか? 」


「生きるに値する人生」とは何でしょうか? 「生きるに値する人… - 人力検索はてな

質問者の考えだと

心の健康
濃密で輝きのある人間関係(友人や恋人)にコミットできる
やりたいことにコミットできる(最低限は、十分な睡眠と食事)

をある程度満たすもの

だそうです。

質問者のでいいと思うんですが、なんとなく2つ考えてみました。

PART1 自分を投げ捨てるような生き方でないこと

最悪なのは死刑になりたくて連続殺人をやるような人生ですが これは極端なので


山月記の李徴は自分の才能と人生を空費してしまったわけですが こういうのは結果として自分で自分を投げ捨ててしまった人生かと思います 自分よりはるかに劣る才能なのに一生懸命磨いたから詩人になった同僚は 自分の人生を大切にしたと


それでも極端なら もちょっと身近なところで

仕事をしていて不満だらけで「仕事なんてカネを得る手段だよ」と割りきってしまうのは 仕事をしている間の自分を自分自身から切り捨てているようなもんだと思います
人生をまるごと捨てているわけではないけれど 人生のかなりの部分を投げ捨ててしまっているような


こういう生き方は 生きるに値しないとは言わないけど あんまり良くないと思います

PART2 世界に参加していること

国語の副読本で読んだ話

ある男が神殿の建築現場を見学した。
人々に「何をしているのか」と尋ねると、「石を切っている」「切った石を積み上げている」「壁に飾る彫刻を作っている」などの答えが返ってきた。

夕方になると老婆がやってきて、作業場をほうきで掃き始めた。
彼は老婆にも「何をしているのか」と尋ねた。
老婆は胸を張って「私は、神をたたえるための神殿を作っている」と答えた。

この老婆のような生き方が 世界に参加しているような生き方ではないかと思います


サルトルは「生きる意味なんてないから(人間の存在なんて不条理だから) いっそのこと歴史に身を投じてみよう そのほうがはるかに価値のある人生になるはずだ」と言ったらしいですが( ※はじめての構造主義 (講談社現代新書))、そんなでかくなくても、自分の見えている範囲の世界に参加しているだけで 生きるに価する人生だと思います


(人間関係にコミットするという条件を見て、へそ曲がりにも木を植えた男のエルゼアール・ブフィエを考えました 彼は自分の見える世界に参加していたから たとえ孤独であっても生きるに価する人生を過ごしたんではないかと ですので「人間関係にコミットする」を「世界にコミットする」に変えてみました 質問者を否定するわけじゃないです すいません)

PART3 ときどき 自らに問うてみては?

質問者は哲学的な興味から質問したのかも知れませんが 私は条件を考えることで 自分の人生に役立てたり 何かの指針にするつもりだったんじゃないかと 勝手に考えました


だから ときどき「俺は今人生を投げ捨てていないか?」「俺は今世界に参加しているか?」と問うてみることが 人生の指針とは言わなくても なにかの役に立つといいなあ と思って考えました


人生を投げ捨てているような人は世界に参加しているという意識は薄いでしょうし 世界に参加していると感じている人は自分を投げ捨てたりしないでしょうから 同じことを別な側面から言っているとも言えます 私という一人の人間が 人生の意味について考えたのですから 人生に対する考え方の基本の部分が同じになるのは当然ともいえますが まあ御愛嬌ということで






おしまい。