連想から遠くまで来ました

本日の内容

  • 言葉を額面通りに受け取る
  • 子供が戸惑う問題
  • 算術が成り立つとはどういうことか


言葉を額面通りに受け取る

うちのちびすけちゃんと二人でお出かけしたことがあります。おしっこをしちゃうと大変なので、しょっちゅう「おしっこしたい?」と聞きました。ずーっと「出ない」だったのですが、帰るころになって小さい声で「うんこしたい」ですって。
いや、文字通り「おしっこ」じゃなくてもいいから。そういうときは「うんこ」と言ってもいいから。

という、なかなか幼児らしい考えでした

子供が戸惑う問題

似たような話で、子供が戸惑う算数の問題に、こんなのがあるそうです。
(大人の目から見て同じようなもの・同じに扱うべきものが、子供にとっては違うものであるという話です。なぜ似たような話なのか、わかりにくかったですね。すみません。)

3このりんごと5このみかんがあります。
ぜんぶでいくつでしょう。

これだけ読むと、なぜ戸惑うかわからないかも知れません。でも、「りんごとみかんは別なものだから足せない」と思う子供が一定数いるそうで、なるほど、と思えなくもありません。


これを極端に推し進めると、こんな問題もつくれます。

空港に3機の飛行機と
2人の女性がいます

ぜんぶでいくつでしょう。

???飛行機と女性をぜんぶでって、どういうこと?と思いますよね。これと似たような戸惑いでしょう、きっと。


こういう子供のために、一言「 くだものは ぜんぶでいくつでしょう」と書いておけば、戸惑う子供を減らせるかも知れません。

算術が成り立つとはどういうことか

ここから、数とはなにか(算術が成り立つとはどういうことか)、という話をすると面白いんじゃないかと思います。りんごとみかんの場合は両者を統一して扱える「くだもの」という概念があるから足せる(算術の対象になる)のに、飛行機と女性は両者を統一して扱える概念がないから足せない(算術の対象にならない)。車と飛行機なら「乗り物」という概念があるから算術の対象になる。
じゃあ、算術の対象になるかならないかは、概念を持っているか持っていないか、もっと言えば概念を作ったか作っていないか、という、人間の恣意的な基準によるの?

そうだよ。有名な「なぜ1+1=2なのか」という疑問は、いろいろな意味があるが、中には「1個の泥団子と1個の泥団子を合わせても1個のままだ。だから、1+1=1の時もある。常に『1+1=2』が成り立つとは限らない」という意味の疑問を持つ子供がいる。(子供の時にそう考えた、という人に話を聞きました。)

そういうときは「重さが2倍になってるのさ」と言える。しかし、なぜ重さなの?恣意的な基準でしょ、それ。だってりんごとみかんの時は個数でよかったのに。

うん、逆なんだ。「現象は常に算術が成り立つ」「現実は計算通りにうまく行ってる」じゃなくて*1「算術が成り立つような要素を現象(現実)から抜き出している」と言うべきだ。しばらくは個数でうまく行っていた。個数がだめになったら重さ(≒質量)なら算術が成り立つと言う。質量の算術が成り立たなくなったら、こんどは質量とエネルギーは同じだからそれで算術をやればうまく行く、と言い出す。(そういう理論を作り出した。)これが崩れたら、また何か「算術が成り立つもの」を探し当てる、はず。


うろ覚えですが、珍しいタイプの生物学者・池田清彦構造主義科学論の冒険 (知における冒険シリーズ) によると「科学とは見えないものをみえるものによって言い当てようとするゲーム」なんだそうです。ひょっとしてこれに似た意味なのかなあ?かなりちがうか。(だいたい「構造主義科学論の冒険」自体をよく理解できなかったからなあ。何か書く方がおこがましい。)



なんてのは、だんだんめんどくさくなってきたので、おしまいです。ちびすけちゃんのトイレの話から、ずいぶん遠くまで来たもんです。





おしまい。

*1:小説版「2001年宇宙の旅」では「大自然の計算書に誤りはない」と表現していました