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NHKスペシャル「臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」を見てみた

本日の内容


NHKスペシャル臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」を見てみた

2014/9/14に放送したNHKスペシャル臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」の録画を見てみました。

NHKスペシャル
約1ヶ月前の録画で、我ながら番組録画の消化が遅いです。

臨死体験を信じている?

大前提として「臨死体験はある」というところから始まります。えー、そうかなあ?私も2度ばかり死にかけたことがありますが(ずいぶんと運が悪い話です(笑))、どっちの時も臨死体験なんてしなかったけどなあ。
事故で負傷→こりゃあやばいな→目の前真っ暗意識不明(ブラックアウト?)→病院のベッド
というパターンだったけどなあ。

でも、知の巨人・立花隆が言うんだからあるのかも知れない。せっかくだから見てみようかな。というような具合です。

臨死体験をした人々

臨死体験をした人々というのは、案外いるみたいです。で、体験に共通点があるそうで、だいたい

死にそうになりました。
体から自分の魂が抜けだして自分を上から見てました。
そのうちお花畑を進んでいきました。
行く先に大きな光を感じました。
大きな愛と幸福に包まれました。

ってなことになるそうです。はて、こういうことって起こるんでしょうかね?

体から魂が抜け出す体験

体から自分の魂が抜け出す体験は、ありうるんだそうです。

人間は自分の体の中に自分がいる、と思っていますが、そこんところを変えることができます。マネキンとよく工夫されたカメラを使うと「マネキンの中に自分がいる」とか「マネキンを触られると自分が触られたように感じる」なんてことができるとか。

さもありなん、という話ですね。石黒浩の研究しているジェミノイド(自分と極めてよく似た人形)を使っていると、やはりジェミノイドを触られると自分が触られているように感じるとか。

意識の位置をずらす、という話もあります。自分の意識があると思っている位置(だいたい両目の後ろあたりの位置)を、意図的にずらしていって、ついには体の外に意識があるように感じさせる、という話なら、物理学者のアルバート・ファインマンが「ご冗談でしょうファインマンさん」シリーズのどれかに書いていましたし。


「自分の意識を自分の体から外して別なものに宿らせる」ことはありうることかも知れません。

神秘体験

お花畑とか愛と幸福に包まれるという神秘体験、ある意味ステレオタイプな体験もあるんじゃないかという話です。
心理学では、フォールスメモリー(偽の記憶)という現象があることがわかっているそうです。これ、マウスの実験で再現できるんだそうです。

人間の場合でも、自分の幼い頃の話を親から聞いているうちに、その話を実際に体験した気になってしまうなんてことはすごくありそうです。ヘミングウェイの「老人と海」でも、老人が仲のいい子供に向かって「お前は本当に覚えているのかい?わしの話を覚えているんじゃないのかい?」というシーンがあります。(余談ですが、私は、自分の記憶にもそうしたものが混じっているんじゃないかと思っています。特に幼稚園時代の思い出なんかに。)


成人になっても似たようなことを引き起こすことは可能です。割と簡単な実験で再現できるそうです。


となると、酸欠の脳が見た幻覚のようなものを、後から思い出す時に、つい自分のステレオタイプに当てはめて記憶を加工し直しなおしてしまう、なんてことはありそうなことに思います。

(認識の枠組みが似ているのでだいたい似たような体験になる説)

(本当はカントの哲学「人間は物自体を認識することができず、認識の枠組みを通してしか認識できない」「あるから見えるのではなく、見えるからあるのだ(コペルニクス的転回)」という話、そこから「認識の枠組みが例えばキリスト教かなんかでだいたい似通っていれば臨死体験(X体験、全く未知の体験)も似たような認識の枠組みの中で認識する=経験する、なのでだいたい似たような認識になってしまう(=似たような経験になってしまう)」って話に持っていくと、より良い(おもしろい)と思いますが、説明できる自信がないのでパスします(笑))

意識は複雑さから来る?

このあたりは無理矢理科学的に(合理的に?)説明すればやれないこともないのですが、「意識ってなに?」になると、だんだん神秘的になってきます。

研究者によると「極めて大きな数の神経細胞+複雑なつながり」で意識ができるんだとか。ふーん、じゃあ大規模集積回路でも意識はできるんだな?と思ったら真面目にそう主張しているのでびっくりです。

「インターネットぐらいの規模の複雑さになるとそれが意識になるのではないか?」「何億という星々が重力で複雑に影響しあっている銀河もそれ自体がひとつの意識か?」なんてことを、たまにSFのネタ的に考えたりしますが(しません?)、それを真面目にやってるんでしょうか。


わからんでもないような、雲をつかむ話のような…。

理屈ではないのかも知れない

結局は臨死体験というのは理屈ではないのかも知れません。臨死体験者は臨死体験や死後の世界を確信します。臨死体験を科学的に研究していた人でもそうなります。


かつて立花隆が膨大な取材の上でまとめた本「宇宙からの帰還」によると、宇宙から戻ってきた宇宙飛行士たちはものの見方が変わるそうです。大変な衝撃を受け、宇宙と地球の存在を奇跡だと感じ、この世の神秘を体験したと思い、中には宗教者になる人もいるんだそうです。科学と合理的思考の最先端にいるような人々が。

臨死体験もその種類のものかも知れません。体験した人だけが、死生観が変わるような神秘的な体験なのかも。


うーん、うっかり臨死体験をしそこなったのはもったいなかったですが、2度と(3度と)死にそうにはなりたくないなあ(笑)。


おしまい。